2011年9月18日日曜日

身体より先に脳に限界が来る

さあ、今回は皆さんお待ちかねの「気合い」「精神論」の話。

僕は普段は澄ましてクールにしている方だと、
自己分析しているのですが、スーツを着ていない
プライベートですと油断すると体育会系的思考、
精神論の固まりみたいになってしまう。
合理的でなく足で動いて解決しようとしたり、
気合いですべてを処理するようになりがちです。
「元気が一番」みたいな価値観が前面に出てきてしまう。

で、タイトルですが

身体より先に脳に限界が来る

これは、体育会系的な精神論でもありますが、
脳科学的にも証明されていることです。(たぶん)

ランナーの皆さんなら経験あると思いますが、

「だめだ、もう歩こう」

という状態になった時って、「足が複雑骨折している」
とか「臓器が多機能不全で生命維持が難しい」っていう状態より
手前でストップしていますよね?
「足に違和感が〜」とか「息が苦しい」とか。

これは肉体が機能しない状態まで損傷する手前で
脳が身体に危険信号を出してブレーキをかけるからですね。
この脳の指令がないと人間の命は限りなくチープになり、
働き者は死滅してしまうだろうと思います。

しかし、裏を返せば、「まだいける」なのです。

ブレーキをかけるタイミングは人それぞれですが、
運動習慣がある人は自分がどこまで頑張れるか、
経験から大体把握しているものではないでしょうか。
そこを判断すれば、経験したことのある程度の痛みが来ても、
「この感じは筋肉痛が出ても明日1日だ」
「しばらく歩きに切り替えれば苦しくない」
みたいな判断をし、なおかつ
「その程度の痛みだからこのまま走り続けよう」
という体育会的、精神論的がんばりが期待できます。

これがあると、「限界を超えた」結果として、
パフォーマンスが向上されることと思います。

痛がっても競技を続けて「腱が断裂」「肉離れ」って
なっても仕方が無いので、痛みによっては即STOP。
それは自己判断で経験からはじくしかないですね。

自分の性格が臆病だったり、心配性だったりする場合
心の声にあまりに素直•忠実に従っていると、
身体的パフォーマンスのかなり手前の実力しか出せない。
これはとてももったいないと思うのです。

僕個人ですと、身体のパワーを100使えると仮定して、
40でやめたくなり、気合いでも70までしか出せないと思います。
生まれてから肉離れも骨折もしたこと無いですが、
たぶん追い込むほど我慢ができないからですね。

マラソンというのは、「気合い」「我慢」といった
精神力でかなりの部分が構成されています。
才能がある人でも、無理感じない程度でプロになれるほど
圧倒的なパフォーマンス持っている人はいない。

「脚力」「フォーム」「ストライド」といった走力は
全て大事なんですが、それに加え「土台」となる「精神」が必要です。
その「精神」は脳の指令に従順になるのではなく、
経験から指示を無視して、心の声とは別に客観的物理的な
身体の限界を知ることであると思うのです。

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