レース翌日ですが、筋肉痛もなく元気です。
むしろ快調すぎるから昨日走ったのを疑うぐらい。
息はきれたけど足はダメージなかったから、こんなもんですかね。
実力を出さないからダメージ無いんじゃないかとの説もありますが、強くなったからだと良い方向に解釈しておこうっと。
レース翌日の今日になってですが、レースって楽しいなあ、という感情がフツフツと湧いてきています。
10キロのレース中って恐ろしいほどに何も考えられなくて、キロ当たりの時間を見てその意味を考える程度。
応援に中途半端に会釈したり、坂を見てもっと速度を上げろ、いや現状のスピード維持程度で良いとか断片的な思考が現れては消えていきましたね。
そんなまともに思考もできずに走っているときに『ゆったり』という表現もおかしいけれど、件名のような
忙しいけれどゆったり
という時間感覚を味わいました。
普段練習で走っているときは、現実の一部の世界を意識することができています。
時間感覚も概ね外さずに、〜分ぐらい経過したかなー、と予想がつきます。
けれど、昨日のレース当日は、なんだかフワフワと現実空間が歪曲されたような場所にいて、走っていても時間感覚がとてもあやふや。
これは主に緊張した状態で知らない土地で、車もなくレースしてるからなんでしょうねえ。
走っている間は息が切れたり、苦しみがある訳です。
けど何だか苦しみも痛みも、感じるまでにぼやけているようなフワフワ感がありました。
認知の歪みですが、現実っぽく無い体験は楽しく感じます。
不思議さが楽しい感覚って通じるでしょうか?
これはレースに出て走ってみて始めてわかる感覚なんじゃないかな。
僕が勝手に作った法則で
初のフルマラソンはタイムが遅いほど感動する
というのがあります。
これは初フルマラソンで僕が、ゴール直後は感動しなかったけれど、周りのみんなが感動し、後にゴールしたほど泣いていたことを観察して得た法則です。
僕は走った後に、現実世界に帰ってきたと感じるだけで、あまり感動とかはしません。
終わったなー、と思っても達成感ってほどは感じないですね。
しばらくずっと走ってきたので、立ち止まった瞬間の景色の流れが異なること、それに関する違和感を感じるぐらい。
そもそも人とは走りの感想が全然違うから、忙しくゆったり、っていうのを普通の人は感じないのかもしれないです。
痛い、苦しかった、辛かった、って感情が達成感に影響するというのは分かりますが、僕はマラソンに達成感よりもフワフワした感覚やみんなで競争する楽しさみたいなのを求めているのかもしれない。
マラソンの楽しさっていくつもあってイイですよね。
1番つまらないのは、楽しく無いのにブームだからやるってことです。
楽しいから、理由は様々
そういう感想で今後もいきます。
それにしてもこれから毎月レースがあるかと思うと胸が高鳴りますね。
怪我とか押して出るとたぶん辛さが強くなりすぎると思うので、怪我だけ気をつけます。
皆さんもよいランニング、そして楽しいフルマラソンを!!
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