僕は「24時間後には〜」、とか「1週間後には〜だなあ」、とか想像するのがかなり好きです。
今日は1日中
「そろそろ行きのバスの中で緊張している頃か」とか
「今湘南マラソンを走っているんだなあ」とか
「完走して祝勝会のまっただ中だなあ」とか夢想していました。
そんな夢想をして帰宅し、軽くランニングしたら、腰回りが結構痛くて驚きました。
押したりしたら唸るぐらい痛かったので、今は湿布貼りまくりです。
いやいや、油断はできないな、無事完走できるか怖い怖い(笑)
マラソン大会前って、色々と不安とか出てきて「いや、足痛いから厳しいなー」とか言い訳になるようなこと周囲に公言する人もいるみたいなんですけど、そういう不安な気持ちとかも含めてマラソンって興味深いですよね。
メンタルが揺らぐ、自分の弱さを見る、みたいなことは良い経験だと考えています。
僕も月曜ぐらいは凄い快調で、明日でも走りたいとか騒いでたんですけど、今は腰回りの痛さの不安もあって本番痛むのかと考えてドキドキしちゃっていますね。
こんなこと書いているんでまだ余裕はあるんですけどね(笑)
ブログの中で何回か、「痛みを押してまで走る必要は無い」と書いたりしましたが、その逆に「痛みのあるレースをものにする」というのもまた大事なことだと思います。
靭帯を断裂してまで走れ、という訳ではありませんが一時の筋肉痛ぐらいでリタイアというのはマラソンの楽しみを味わえないと思うわけです。
痛みを避けたいのが人間の生物学的な本能ですけど、痛みを堪えて何かを達成することは人間の自尊心を大きく高めるような気がします。
松島マラソンの10キロって記憶が全然なかったんですけど、初マラソンの東京マラソンで足が痛くなって歩いた時の屈辱感は2年が過ぎた今でもありありと頭の中に蘇ります。
レース的には松島の方が検討したけど、記憶が鮮やかなのは苦しんだ東京マラソンなんですね。
深い後悔と無力感とがミックスされた屈辱の味、自分が矮小な感覚がして悔しいけれど自分という存在を見つめた貴重な機会でした。
その屈辱の中に僕が今日までマラソンという競技を続けてこれた原動力があるんだな、と思っています。
人間勝った試合ばかりがモチベーションになるんじゃないんですよね。
そういうことを身にしみて感じたのはやはりマラソンに挑戦したおかげだし、そのときの思いを昇華できるのがマラソンしかないと思っているのが今も続けている理由かな。
フルマラソンの42キロって距離は絶妙な距離らしいです。
いくらマラソンに慣れたランナーでも、30キロ走ってパフォーマンスが落ちない人はいないらしいんですね。
「人類」としての限界を感じ始める距離がマラソンやっていると必ず訪れるわけですね。
マラソンをゴールした人は誰もが、その人類が限界を感じる距離を超えているわけで、だからその人は国籍と問わず凄い。
本能の命令に逆らって自分の中の人類の壁を越えた人なわけです。
どこも痛くならなかったり、失敗しなかったり、後悔しないマラソンレースなんて無いよね。
それらの身に降り掛かるリスクを負うからこそ、腑に落ちるリターンがあるんだし。
あと、1週間後やるぜ走るぜ、湘南マラソン。
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