昨日の湘南マラソンを走っている間に感じたことですが、
もうこれはやりたくねーな
と正直思った。
やっぱ42キロとか走るのはキツいですし、何かしらトラブルは起きるモノです。
事前のプラン通りになんか絶対行かなくて、でも前に進むしかなくて、ううー、となります。
腹も足も痛いし、トイレに行けば良いのかなんか食べれば良いのか、正直いろいろ迷いました。
頭も疲れて暑くて正常に働いていないしね(笑)
車いすで運ばれる人とか、疲れ切って座り込んでいる人とか、救急車が出動するのをみると、
心理的には不安になりますよね。
俺もいつでもああなるんだ、みたいなことはものすごい考えました。
成功と失敗をかけて綱渡りしている気分。
フルの最中に「もういやだ」と思うのは多分正常なことです。
やっぱ尋常じゃないダメージを受けたカラダは拒否反応を示しますよ。
けど、ゴールして一夜明けた僕は、もう一回挑戦したいと思っています。
僕が単純なせいもあるけれど、カラダももう一回やりたいと、復習を誓っている気がするのです。
僕のカラダ君がちょっと変なのかもしれないですけど、もう一回挑戦したがっている(笑)
ところで、昨日沿道から受けた応援で「踏ん張れ〜」というのがとっても腑に落ちました。
普段人に対しての応援って、「頑張れ〜」が一番多いと思うんですが、
マラソンしている時に「頑張る」レベルはさすがに実践している自覚があります(笑)
「頑張る」の先の言葉の心理状態が必要になっています。
「踏ん張れ」というのは、まさに「踏む」と「張る」で「着地して前に進め」と言われている気がするんです。
地面をしっかりまずは「踏み」しめろ。
そして、地面を「張って」前に進むんだ、と。
効率的なランニングは軽やかに前に進むことが大事ですけど、軽やかにできないから疲れているわけで。
そんなときは、正しい効率的なフォームじゃなくても、「踏ん張って」進むしかないんだな、と。
僕はこのブログでこう考えればスイスイ走れるんじゃなーい、とか、無理は禁物、みたいなスマートなこと書いてますけど、究極のところ効率とか論理を超えたパワーでギリギリねじ込む「踏ん張り」がレースじゃ力を発揮したりするんだよね。
しかし、「踏ん張れ」って言葉を血肉にした感じがするなあ。
これから「踏ん張れ」って応援すると思うし、「踏ん張れ」と聞くと湘南マラソンを走る自分が思い出されると思う。
血肉になった言葉ってとても貴重ですから、そういうものが得られたのは良かった。
おっきな収穫でした。
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