2011年11月30日水曜日

初フルマラソンは準備しすぎるのも考えもの 当たってくだける度胸も大事!

フルマラソンの大会に参加することを非常に高い目標と感じていて、なかなかエントリーできない人がいるようだ。
10キロも到底走りきれないというのでは話にならないが、ある程度の走力があってチャレンジしないという人には、勇気を持って大会に挑戦することをお勧めしたい。
挑戦が無理めなほど達成感があるし、フィードバックも大きいのだ。



以前に2年間のランニング習慣があって、大会に全く参加したことがない人と会った。
その人は「そろそろ10キロとかハーフマラソンとか出ようと思うんですけどねえ」と言っていた。

僕は「いや、むしろそれもうフルやっちゃいましょうよ」と思わず言ってしまった。
その人は色々な練習クラブで15キロとか走っているのを知っていたし、僕が一緒に走った時もそれなりのペースの中お互いに無理無く会話を楽しむことができた。
このレベルでフルに挑戦していないのは、時間とか資金の制約が無い限りは、むしろ度胸の問題なんじゃないかな、と失礼ながら思ってしまった。

向こう見ずに無謀な挑戦をすることは褒められた物ではないが、ひたすらに準備し続けるというのも同じ程度に褒められた物ではないと思う。
準備をしているときは安定した日常に変化も訪れず平和であるけれど、それだけ新しい刺激が無い世界でもある。
人間は経験からしか学べないし、適度に新しい刺激がないと成長もしていかない。

フルマラソンは参加してみて感じるところが多いスポーツだ。
大会中に後悔したり悔やんだり苦しんだりしたことから学ぶことは多い。
40キロ走って感想の走力があることを確認してからフルに挑むよりは、10キロぐらいしか走ったことがない方が未知の世界を楽しめる。



僕が初めてフルマラソンに挑戦した時はそれなりに辛かったのだけど、ゴールできないとはとても思えなくて完走してもそれほどの感動はしなかった。
後続でゴールする人を見ていると、あんま練習していないようなフォームの人が泣きながらゴールしているのをみて少し羨ましくなったりした。
この人たちはゴールするまでがとても大変だったのだろうし、なんどか感想を諦めた自分を乗り越えてきたんだから感動したんだと思う。
大きな怪我とかする可能性があるので、無謀すぎる挑戦は必ずしも賞賛できない。
けれども、リスクばかり考えて挑戦しないのではマラソン自体を本当の意味では楽しめないと思う。

1年間かけて100%の準備をするよりも、3ヶ月で50%の準備ができたらトライしてみよう。
人生を左右するような大決断では慎重な姿勢が必要だが、幸いに市民ランナーはマラソンの成績が人生に与える影響力は限定的だろう。
ゴールできないと屈辱かも知れないが、その悔しさが自分の壁を突き破り大きな飛躍のきっかけになるかも知れない。

準備しすぎるばかりのランニングではなく、挑戦してみて沢山学ぼう。
自分の底力が開発されるし、非日常の刺激はきっと人生の質を高めると思うから。

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