2012年7月18日水曜日

同じコースで同じ練習ばかりしていると、自分の弱さを認識できなくなる

伸びている感覚が実感できている時って嬉しいですよね。

成長が実感できる時って、ほんと気分がいい。
最初下手でも段々と上達して、中長期的に見ればこれからもっと成長すると思える。
確実ではないけど、過去の成長の経験則からたぶんそうなるだろうという予想が立てられる。
にんまりしてしまいます。
そんなことを感じさせてくれる環境には強烈な愛着が湧き、何度も繰り返しそこに留まり続けたくなります。


僕も走り初めの頃は、決まったコースを同じペースでゆったり「楽しいな〜」って走っていた時期があって、同じ練習を何度も繰り返していました。
それはそれで面白い充実してまして、その時の生活でなにより充実していた時間でした。
けど、今はその時と全然違う、もっと苦しい練習しています。
あの時より練習だけ見ると楽しくは感じていないし、走る理由を探したりモチベあげるのに苦労している。

なんで、心地よい状況を抜け出したのか。

全ランナーが走力を上げるべきとは思いませんし、ランニングの楽しみ方は人それぞれだと思います。
けど前より長く走れるようになるのが楽しい、って感じる人って成長が感じられないとつまらなくなってしまうものでしょう?
成長ってすなわち心肺能力が強くなるとか、脚力が強くなるとか、精神力が強くなるという事だと思うのです。

それを求めるためには、それまでの練習を繰り返していては無理だと気づいたんです。
(色々本とか読んだりランニングクリニックとか行って勉強しました)


フルマラソンで4時間切って、さらに上を目指そうと思うと正直1時間以内のジョグだけじゃ厳しくなってきます。
スピード練習など、それまで行わなかった不快さを体験する必要があるでしょう。




プロ選手がビルドアップとか、ペース走とか、LSDとか野山を走ったりするのって、その結果早くなるからなんですよね。
プロでもなんでも嫌いな練習とかはあって、基本的に全力で走って追い込む練習とか苦しむまでやらないと効果がなく、苦しい練習が好きな人っていないわけです。



ランナーには成長のステップがあって、継続的に成長を実感したり充実感を求めるならば、そのステップを上がりつづけないといけません。
最初のステップは自分で工夫したり、なんとなく思いついた練習で上っていけます。
ステップの高さは低いです。
素人理論でも、時間をかければ運動レベルは徐々に上がっていく。(怪我とかしなければ)

けど、成長を求めることを続けると乗り越えるステップが段々と難しくなってくる。
気軽に成長が実感できなくなってくる。

もちろん今の練習を続ける事は自由だし、だれもその方法を強制的に変更させる事はできない。
個人の趣味なんだし、やりたいようにやれば良いわけです。
早くなる必要もないし、早くなりたくても自分の好きな方法で早くなれば良い。

けど、成長を強く実感したいなら一時的にか継続的に「不快」な経験が必要です。
そうしないと目の前のステップを通過する事が出来ないから。

無駄である不快な経験は不要ですが、ある程度ストレスがないと伸びないです。


苦手で不快な練習は「自分の弱さ」に気づかせてくれます。
それは「成長」という万能感を求めた自分が求めているモノではなかったはず。
惨めで、情けなく不愉快です。
けど、その不快体験がないと成長を実感できないというパラドックス。

同じ練習の繰り返しだと、自分の走りのもたらす疲れとか筋疲労が把握可能で、景色も見慣れて疲れもしない。
その練習を過不足なく行える自分が大層な実力なのではないかとすら思えます。

けど実際は、同じ環境に適応しているだけで「成長」はしていないわけです。
自己評価的には「最強」でも、客観的には「成長が見られない」という状態ですね。

基本的には人は経年劣化していきますから、同じ練習していると長い目で見るとタイム落ちていくんですね。
だから毎日の練習の成長幅がだんだんとマイナスになっていってしまう。

それを楽しめるなら同じ練習を繰り返すので良いかと思います。
けど、大体の向上心ある人はそういう体験は面白く感じないんじゃないかと思います。

良い悪いではなく、成長したいなら練習を変えよう、という話でした。